私がハワイに惚れた訳

♣幼い日のハワイ

昔々、話は遡ること、あれは確か私が小学生の頃、農協だったか銀行だったか定かではないが、何かの団体旅行で祖母がハワイに行くことになった。その頃我が家で海外に行ったことのある人間などおらず、当然パスポートを持っている人間もいなかったので、その取得からスーツケースの購入まで海外旅行に関すること全てにおいて、我が家では祖母が初の経験者となった。

当時、東北の田舎、特に私の身の回りではまだまだ海外旅行は全然身近な存在ではなくて、その「我が家の祖母、ハワイに行く」の巻は、家族どころか親戚中、さらにはご近所をあげての一大イベントのようだった。皆が皆餞別を持って来たり、家族皆でガイドブックを読み合ったり、家に来る人たち皆が「テレビで見たんだけどハワイってさ…」「新聞にハワイは〇〇って書いてあったよ」と様々な情報が提供してくれ、まあとにかく大騒ぎだった。そして祖母はそのハワイ旅行に新しくスーツを誂えて出かけて行ったのだった(ハワイなのにスーツ!)。

当時の写真を見ると、その新調したスーツにオーキッドのレイをかけた祖母が誇らしげに佇んでいる。一生に一度という大イベントだったのだろう。その頃確かテレビ番組のプレゼント企画は6泊8日のハワイ旅行というのが多かったし(海外に行くと1日消える!?みたいなイメージはここから得た)、年末年始は芸能人が皆行く場所、というイメージも強かった。そんな訳で私の中では「ハワイ=庶民はなかなか行けない、お金持ちが行く場所(プラス、ちょとバブリーな感じ)」というハワイ像が出来上がったのだった。ゆえに自分とは遠くかけ離れた存在過ぎて「行ってみたいな」なんていう気持ちも全く生まれなかった。

(祖母からのお土産はこういうシェルのレイで、当時すごく気に入っていた)

♣ハワイに行かない?

とかくハワイには何の興味も持たず、二十歳になった頃のこと。友人からこんな提案を受ける。「今度のスプリングブレイク、ハワイに行かない?」と。少し補足すると、当時私はカリフォルニアに留学中。アメリカの大学には3月〜4月のどこかにスプリングブレイク(場所によってはイースターブレイクとも)という1週間くらいの春休みがある。また11月後半にも感謝祭関係で同じく1週間程度の休みがあった。

当時、ハワイに行こうとか行きたいとか1ミリも思ったことのなかった私は、そこで初めて、「そういう選択肢もあるのか」という気持ちになった。と言うより、ここで初めて「ハワイ」に興味をもったのだが、確かにカリフォルニアーハワイ間は国内線扱いで、「今度の休みはLAに行こう!」とかいう感覚と変わらないのだった。なんでもその友人はダイビングのライセンスが取りたかったらしく、ダイビングするならハワイかな?程度でハワイを選んだとのこと。そして、どうせなら行く人全員でダイビングやらない?ということになったのだが、ダイビングショップに体重を深刻しなければいけないことが分かり(ウェイトの関係)、ついでにハワイに行く前に壮絶なダイエットも経験することになったのだった。

それまで全く興味がなかったのに、行くことが決まれば話は別。ガイドブックをあの手この手で取り寄せ(情報収集はまだまだネットよりも本という時代だった)、実家から送ってもらった「る○ぶ」や、ジャパンタウンで買った「地○の歩き方」を読み漁り、そこで得た情報をシェアし合った(この時点で既視感)。さらに全てはウェットスーツやビキニを素敵に着こなすため(!)に甘い食べ物を自分たちに一切禁止した(思えばここで糖質制限をしていたのね)。

♣初めてのハワイ

そんな満を持して訪れた初ハワイ。そしてまんまと私はハワイの魅惑にドップリとハマってしまうことになる。理由を色々考えてみたが、一番大きいのがハワイが日本とカリフォルニアの真ん中であったこと(地理的にも内容的にも)だった。日本で暮らしている時には見向きもしなかった日本食や日本文化が海外ではなぜか急に恋しくなり、それらを求めて大学時代、よくジャパンタウンに通っていたが、やはりカリフォルニアにあるのはアメリカナイズされた日本文化(特に食事)だったのに対し、ハワイではそのレベルの高いこと!日系のスーパーも日本そのもので、「〇〇が売ってる!」「□□が安い!」と、いちいち歓声をあげた。さらにダイエットで禁じていたものたちをここで一気に解禁したので(←ここが間違いなのだが)、口に入れるもの全てが美味しすぎて感動した。

また、本土の暮らしではどうしても劣等感をもってしまった自分の英語。これがハワイでは「英語上手ね!」とやたら褒められ、私はすっかり気を良くしてしまった。ハワイは日本語が使えるお店やサービスがたくさんあるが、これらを利用しつつも、現地の人向け(つまりアメリカ人向け)のものも使えるという自分たちのアドバンテージが最大限生かされたのも大きいと思う。あとは現地の人たちの優しさ、とにかくウェルカムな雰囲気はさすが観光大国の一言。バブリーでちょっぴり成金チックなイメージは一瞬にして崩れ去ったという訳。

そしてその後、私のスプリングブレイクとサンクスギビングホリデイ、つまり大学生活の要所要所は、ほぼハワイで過ごされることになる(そこからダイビングインストラクターになるのだが、この話はまたどこかで)。

(何度行っても新発見がある)

♣特別な場所

大学を卒業したのが12月。その後、日本で大学院に進学をすることにしていた私は3ヶ月の空白があることに気付く(日本の学校は4月始まりだから)。そこでバイトに励んで学費を稼ごう!なんて気は更々なく(親不孝)、これはハワイで暮らすチャンス!とばかりに、「ちょっと行ってくるね〜!」と渡布したのであった。主目的はダイビングだったのだけれど、「どうせハワイにいるならフラ(ダンス)の一つや二つ習ってくれば良いのに」という母の言葉は今にして思えば正しかった(=やれば良かったと今思っている)。

その後も数年に一度のペースでハワイに行っていたが、今年念願叶って一番一緒にハワイに行きたかった友人と行くことができた。15年間ずっと「いつか一緒に」と言っていて、今回彼女の家からその頃(15年前)のハワイのガイドブックが出てきたというし、留学経験もあり、海外旅行経験も豊富なその彼女が、初ハワイだけは私と行くと決めていたというから感慨深い。

(念願の二人旅)

そこで思ったのは、ハワイに恋して数年間通い続けた私にとっても、ハワイに憧れ続けてやっと念願叶った彼女にとっても、ハワイは特別な場所だということ。青春時代をほぼそこに(それを考えることに)費やしているから。「ハワイアン〇〇」があると聞けば飛んで行くし、ALOHAモチーフのものはつい買ってしまう。

(ALOHAの文字だけで可愛く見えてしまう不思議…)

興味すらなかった場所が、今や自分にとってなくてはならない場所に。今こうして、離島で暮らすことも何かの縁かも知れないと思うのだ。御蔵とハワイ。規模は違えど島同士。アロハマインドがあれば、ここはもっと素敵な島になる、そう信じている。